中途半端に削除されたMaison book girl

〜終わりの演出と「削除」について〜

5月30日。ここ数年応援してきたMaison book girl(略して、ブクガ)が活動終了となった。事前にこの日がラストライブだという公式からのアナウンスは、一切なし。ナタリーのニュース記事と関係者のツイートで、Maison book girlの活動終了をやっと知った。終わりを事前にまともな告知をせず、その後も特に公式からのアナウンスもなく、本人たちと関係者たちだけが満足するだけの不気味な終わりだった。

何度も繰り返す感じで申し訳ないが、5月30日のラストライブ当日まで、活動終了の告知などは公式からのアナウンスは一切なかった。匂わせ程度のHPのデザイン崩れもしくは謎のカウントダウンのツイートのみ。だから、お別れもなしで活動が終了。ラストライブ後に、公式Twitterの過去ツイートが削除。メンバーが書いていたLINEブログも削除。メンバーである井上唯の公式Twitterもツイートを削除。InstagramもTwitterと同様、グループ公式と井上唯のInstagramが過去の投稿を削除。

活動終了のライブ当日の夜からMaison book girlの公式サイトには「Maison book girlは削除されました」とブルーエラー画面のようなサイトデザインへ変化している。だがしかし、活動終了なのかどうかメンバーはその後どうするのか特に何も言わないまま、今までサイト上にあったインタビューやら特設サイトまで全て削除されてしまった。YouTubeなどに上がっている音楽は残っているが、他は全て削除されたかのようにした。

しかし、今の時代でネット上での削除を演出するのに無理がある。ネットメディアにはメンバーのインタビューなどは残っている。もちろん、公式サイトに書いてあった通り、YouTubeや定額音楽配信サービスなどの音楽コンテンツにはブクガは存在したままだ。それ以外でも、インターネット上にMaison book girlのコンテンツは探せばあるだろう。削除したくても、完全には削除できない。正直なところ、活動終了の演出をしたいがためだけに、自分たちが管理できるオフィシャルのコンテンツを削除して満足しているような感じだ。ようは、中途半端にただ消しただけである。

また、削除された感を出すために、ブルーエラー画面風のデザインにしたせいで、サイトが見づらくなり、その後出る予定のBlu-ray disc「Solitude HOTEL」の案内が雑すぎて、売る気がないようにも見える。演出のためとはいえ、こんな中途半端に削除したら、未来にブクガについて語りたい人たちが現れても、こんな中途半端に削除された状態ではブクガのことを語りたくても語れない。これでは、忘れ去られるだけだろう。後先を考えずに演出を優先したのかわからないが、中途半端な削除をして何をしたかったのだろうか。

そして、今は何でもスマホの時代だ。PCを持ってない、もしくは積極的に使わない人たちが若い世代とかに多い時代で、この削除された公式サイトを演出するのもどうかと思う。今までブクガを好きだった人たちに、このPCあるあるネタが通じるとは限らない。それに、Twitterやサイトで謎のカウンドダウンなどの匂わせ演出をしていても、今までブクガを好きで聴いていた人たち全てが公式サイトとTwitterを念入りに毎日チェックしているとも限らない。片方だけしか見ていない人たちもいるだろうし、そういうのは普段はそこまで追わず、時間に余裕ができたときにまとめてチェックする人たちもいる。ひとによってアーティストの応援の仕方は、十人十色だ。

だからこそ、削除演出をラストライブ前までに匂わせて演出していても、それを知らないまま活動終了に気づく人たちもいる。そういう人たちのことを切り捨てた上での削除演出だったのだろうか。いやもしかして、今までブクガを応援していた人たち全員が、公式サイトを頻繁にチェックし、まめにTwitterを利用していると、運営側が思い込んでしまったのだろうか。

まさか、ラストライブでこんな酷い終わり方をするグループだと思っていなかった。業界人は絶賛しているが、私は今回のブクガの終わりを褒めることはできない。最後の最後で、自分たちが気持ちいいと感じる終わりを追求しすぎたせいで、受け手側の存在を忘れてしまったのではないか。いや、むしろ受け手側なんてどうでもよくなったのか。

アーティストは観てくれる人たちがいるから活動ができる。アーティストの代わりなんて、たくさんいる。Maison book girlが終わっても終わっていなくても、観客はもっといい場所を見つけたら、別の場所へ行くだけ。かと言って、お客様が全てというわけではない。

観客とアーティストは、お互いにとってほど良い緊張関係によって、信頼関係が生まれる。しかしながら、今回はアーティスト側が観客に対して「これでわかるでしょう。」と、信頼関係を武器にして、受け手の気持ちを考えることなく、強引に押しつけた。

けれども、それは今まで地道に築き上げた信頼関係を自ら壊しているだけだ。一見、既存の価値観を壊して新しく作ったかのように演者側は錯覚するが、単に観客とアーティストの超えてはいけない一線をアーティスト側がぶち壊しただけなのだ。そういうアーティストをかっこいいと褒める風潮があるのも知っているが、その流れは文化を衰退させいく。もしかしたら、その流れの結果が、Maison book girlの削除なのかもしれない。

私の部屋には、今でもMaison book girlのサイン付きポスターが飾られている。このポスターをもらっていた頃は、CDを買ったりブクガのライブに行ったり、純粋にブクガの音楽を楽しんでいた。しかし、削除以降はブクガの曲が聴けなくなった。しばらくは、聴かないだろう。いつか削除されたMaison book girlを受け入れる日が来るまで、私の再生履歴にブクガは存在しない。だって、Maison book girlは削除されたのだから。